Diversity Caféダイバーシティ Café


ダイバーシティ Café - 対談

「管理職」×「経営者」
斎藤 由希子
ヤフー株式会社 クリエイター人財戦略室 室長
女性だからこそのポジティブ変換! チームで奮闘した管理職経験とメモを取り続けた産休期間
2017.09.01
Guest Profile

斎藤 由希子

ヤフー株式会社 クリエイター人財戦略室 室長

 

■インターネットの普及とともに

ヤフーの人事や採用部門でご活躍されている斎藤さん。なかでも目をひくのは、社内プロジェクト単位で女性活躍を推進していかれたということ。そんな斎藤さんは、ヤフー設立から3年後の1999年に中途入社。きっかけは「インターネットって面白そう」。日本のインターネット世帯普及率が15%前後の時代。入社当時から振り返っていただきました。

 

清水:ダイバーシティの取り組みを開始されたのは2013年前後でしょうか。

斎藤由希子さん(以下、敬称略):本格的な活動時期としてはその頃から。当初はダイバーシティというよりはパパママサポーターですね。

清水:入社されてからはずっと人事のお仕事を?

斎藤:ずっと人事ですね。入社当時ヤフーは100名規模の会社でした。その頃はオフィス移転の対応や、契約書作り、文具発注など総務人事全般の業務を引き受けていました。

清水:社員の顔と名前も大体わかるような、いわゆるベンチャーと呼ばれる規模ですね。

斎藤:それが今は6,000人。100人から考えたら60倍。

清水:「あ、いま会社が成長してるぞ」と実感されたタイミングってやはりありますよね。

斎藤:Yahoo! BBが世の中に出て、ADSL回線の誕生によりインターネットの通信料金がガクンと安くなったときですね。自分の会社が世の中を変えるきっかけになって、大きな会社に成長したなと、初めて感じたときかもしれませんね。

 

清水:新卒採用は入社当時から行っていましたか?

斎藤:私が入社して3、4年経ってからですね。

清水:最初は何人ぐらいでしょうか?

斎藤:10人ほどです。でも数年後には大勢採用しはじめて、150人とか。それが300人になり400人になりと、どんどん増えていきました。

清水:急に社内の人がいっぱいに。

斎藤:そうですね。新卒以上に中途社員を採用していました。会社を急成長させているフェーズでしたね。

清水:会社が大きくなるにつれて斎藤さんの仕事はどのように変化されていきましたか?

斎藤:育成とセットで採用のあれこれを考えていくようになりました。中途と新卒の採用比率が少しずつ変わっていきましたので。

清水:それだけの人数を採用されて育成まで担当されるとなると、労働時間が…。

斎藤:いわゆるベンチャーの急成長期をイメージしてください(苦笑い)。ヤフーに初めて育成チームができたのは2005年です。そのときにチームリーダーになりました。

 

 

■管理職への挑戦

2005年にリーダー職に就く前は、斎藤さんお一人で年間1,000人ほど面接をされていたという。当時の従業員数はおよそ1,300人。「もっと楽な道もあるな」と考えることもあったそう。しかしずっと一緒に働きたいと思える仲間たちとのめぐり逢いと情報技術に対する可能性への信念が、18年目の今に繋がっている。

 

清水:過酷な環境のさなかに、リーダーになられていますよね。着実に仕事に取り組まれた結果、ついてきた役職で、さらっとリーダー職になられたのかなと。

斎藤:それはないです。「管理職は絶対にいやだ」と、社長と当時の上司に言っていました。

清水:そこからどんな心境の変化が?

斎藤:食わず嫌いというか、「面倒くさそうだから」と生意気なことばかり言って、やってもいないことを嫌がるのは良くないなと。

清水:社長さんに説得された?

斎藤:説得ではないですね。当時の社長と上司と3人で食事に行ったんです。社長がボクトツとした元エンジニアの方で、私の拒否発言にも「ふーん」とかしか言わない。そこで当時の上司が「このとおり、生意気なことを言ってるんですよ」と。そしたら社長が「でも、まあ、やってみて損はない。そういうものは1回やっておいたほうが良いんだろうけどね」という風におっしゃって。

清水:「チャンスがあるなら」と引き受けられたわけですね。

斎藤:そうですね。次に話があったときには「じゃあ、ありがとうございます、やってみます」ということになりました。

 

■慣れないリーダー業務 上司と同僚との縦横のつながり

清水:リーダーをやってみるとどうでしたか?想像していた部分もあると思うんですけど。

斎藤:想像以上に楽しかったです。ポジティブな気持ちのほうが大きかったですね。自己裁量で決められることによる進捗の早さは、「お、早くていいな」って。

清水:たしかにそういった部分はありますね。コミュニケーション相手の役職層も変わるので伝えやすかったり。仕事の量はどうでしたか?

斎藤:量の大変さはそんなに感じなかったんですが、やっぱり精神的な負荷は確実に増えますよね。チームメンバーの仕事と成果も考えるとなると、プレッシャーと慣れない仕事への負荷はありました。

清水:リーダーシップというか、どういうふうにチームを形成されていったんですか?

斎藤:リーダーになりたての頃、当時の上司がしょっちゅう飲みに連れていってくれて「どんなことで悩んでる?」と聞いてくれたんです。「こういう苦労がある」って言うと、「こうすると良いんじゃない?」とアドバイス含めすごく親身になって相談にのってくれた。そういう女性上司がいたんです。リーダー職への誘い話をしてくれた上司と同一人物です。

清水:女性の上司だったんですね。

斎藤:そこからずっと女性の上司。「女性の人生は選択肢も多い。管理職がすべてのキャリアじゃない」とか。「ヤフーのなかで女性が働き続けるとこういう苦労があるよ」なども指南してくれましたね。

清水:その方は斎藤さんにとってキーマン的な存在?

斎藤:そうですね。上司にはずっと恵まれています。同僚も部下も本当に恵まれている。

清水:その上司の方以外に相談する方はいましたか?

斎藤:同じ時期にリーダーになった隣のチームの人に相談しましたね。この縦と横のセーフティネットのおかげで心理的な安心感がありました。

清水:斎藤さんからヘルプ出しをされてたんですね。

斎藤:そこは私の元上司のすばらしいところ。親が子どもに「兄弟仲良く協力してやんなさい」と言うみたいに、「一緒の時期になったリーダーなんだから、悩みもきっと似てると思う。2人でよく話しながら、2人で乗り越えていけるものがあれば協力してやっていけば?」みたいなことを言ってくれました。そういうことがありましたから、何かあると自然と、声を掛け合っていましたし、本部長になったときもその人が一緒だったんで、未だに、なんというか…。

清水:戦友みたいな?

斎藤:そうですね。横の関係は大事。ですから私自身が役職者になってからは、部下に対してもそういう横の関係づくりはすごくしました。「あの人と仲良くするといいよ」「何かあったら助けてあげてね」と伝えるんです。組織として強くなっていくために、寄り集まって人を育てるってそういうことかなって思います。

 

■体感して受け継いだマネジメントスタイル

 おとずれる「女性だからってなんで?」との奮闘

清水:じゃあ「こうしなさい」と教わって自分のマネジメントスタイルになったというよりは、自分の上司にしてもらって「ああ、こういうことなんだな」っていうのを実感しながら、それをそのまま自分のメンバーにも実践されてるっていう感じですかね。

斎藤:はい。部長になるまではまさにそういう感じ。見よう見まねと、体験からの持論で掴み取るみたいな。ただ、人財育成についてアカデミックに勉強している上司のもとで働いたときには、勉強も大事なんだと思いました。そんなきっかけもあり私も大学院に通っています。会社としても、ガンガン事業部をかえて修羅場を経験してこい、みたいなことをしないんです。私に限らずそれぞれが自律してキャリアを考え、上司が自分の適性や強みを見ながら機会を与えてくれる。

清水:すごく順当にきてるじゃないですか。たぶんご自身の中では奮闘や葛藤もあったでしょうけど。「これはまずかった」と思われる修羅場ってありますか?

斎藤:モチベーショングラフにするとボコボコで、修羅場はいっぱいありました。最初の大きなつまづきは新経営体制になったとき。子どもを産んで、仕事と育児を両立する難しさを感じているなかで、自分にも他人にも厳しくなっていたんでしょうね。上司からは「女性に厳しい。もっと女性のエンパワーメントを高めるように」と言われ、部下からは「孤高の人」とフィードバックに書かれました。

清水:そんなことが。

斎藤:はい。女性ってなんでこんなに苦労しなきゃいけないんだろう、と感じることがありました。私は自分自身を女性扱いして欲しくなく、男性と同じように振る舞って同じように扱われることが正しいと思っていたかもしれません。悔しいこともありました。それで自信をなくしていたときに、部下が心配してくれたんです。励ましてくれた。

清水:すごい部下ですね。

斎藤:本当にそう。部下たちが「私たちが頑張らなきゃ」って、力を合わせて頑張り始めた。私はそれまでは完璧主義だったんです。6割の合格ラインってよく言っていますけど、因数分解して、「ここまで頑張ればOK」っていう合格ラインを示しました。そこだけはっきりすると、回を重ねるうちに、能力を超えたものをみんなで出してくるんですよね。「ああ、こういうのが組織力なんだろうな」なんて思い始めました。それからは任せて合格ラインをはっきり言うようにしました。自分のマネジメントスタイルを大きく変えましたね。

清水:上司や部下の方の反応はどうでした?

斎藤:部下のほうも働きやすいと感じたみたいです。そこで初めて組織づくりの原理原則を体感した、という感じです。

 

■泣き言だって言った 

 他社とのつながりで感じた女性管理職の道

「あ、組織づくりってこういうものなんだろうな」と体感したときの組織のメンバーは、新入社員から年上の男性部下まで、バラエティに富んでいたそう。年上の部下との関係性についてお聞きしたところ、苦手意識はないとのこと。年齢への敬いは大事にするけれど、組織として互いに共通の目的があり、期待役割がある場合には年齢は気にならないという。

 

清水:その頃は、周りに泣き言みたいなことは言われてないんですかね?完璧主義な姿勢や部下の方が気付いて動かれたっていうのをお聞きする限りだと。

斎藤:言いまくりです。

清水:え、言いまくり!

斎藤:泣き言を言う先は他社の女性管理職。ちょうどダイバーシティへの取り組みを始めた頃なんですよ。それで、「女性って良くも悪くも目立つのよね」って言ってくれた人がいたんです。そのときに、でも、「良くも悪くも」なら「良く」のほうをもっと意識すればいいんだと思えました。当時は女性の活躍が話題になり始めていたので、女性管理職として「どんなことやってます?」って相談のし合いをしていくと、すぐに繋がりが生まれました。人事として3年間女性活躍の推進に取り組んだので、ものすごく繋がりが増えた。女性管理職の働きかたを例えるならば、細くてまっすぐな道。他社の皆さんもそんな道を歩いていることがわかると、自分のことも客観的にみられて、応援してくれる人がいるって思えました。私と同じような人が社外にもたくさんいるという安心感もあった。

清水:女性の管理職は極少数、という会社さんは、今も昔もありますからね。

斎藤:そうですね。他社の方とは自然と「苦労があるならみんなで解消しよう」と繋がっていきましたし。

 

■周りは部長になるタイミングでの産休

管理職の悩みは、上司や同僚と社外の方への相談で乗り越えていったという斎藤さん。管理職としてもご活躍されていた頃に出産を経験されます。

 

■産休育休に不安はなかった でもちょっと悔しかった

清水:出産されたのも管理職になられてからですよね?

斎藤:リーダー時代ですね。結婚もそうです。

清水:職位があがって忙しいときですよね。今の仕事をしたまま、子どもを産んで育てられるのだろうか、という不安はなかったですか?

斎藤:当時の女性上司の言葉が大きかったです。「いろんなスタイルがあるからいいのよ」「当然ながら戻っておいで」と言っているのを傍で聞いていました。

清水:前例というか先輩方への声かけを聞いておられたんですね。

斎藤:子どもを産むことに、上司の理解があることは分かっていたので、不安や抵抗はありませんでした。でも、実際産休に入る前にはちょっと悔しい気持ちもありましたよね、正直。同じ時期にリーダーになった仲間たちが、産休中、私以外は部長になっていました。ここで子どもを産んでなければ私も部長になったのか、戻ってきても果たしてリーダーに戻れるのか、と感じていました。あんなに嫌がっていた管理職ですけど、やってみると良いこともあり、組織づくりの楽しさを感じていた時期でもありましたから。

 

■出産後に感じた世間知らずな現実 ガイドブックの作成

清水:お休みはどれぐらいの期間?

斎藤:1人目の産休・育休期間は10か月でした。2人目が年子で、そのときは1年間ですね。3年間ほど、あまり会社に来てないんです。

清水:その3年間、どんなお気持ちで過ごされたんですか?

斎藤:急加速・急ブレーキですよね。休みに入るときは「あ、なんかゆっくりできるかも。ラッキー」ぐらいに思っていました。けど実際産まれてみると「意外に忙しいぞ」と。聞いてないことがいっぱいあるんですよ。どうしようの連続でした。知らないことがありすぎて、例えば、保育園のこと、地域のこと、それこそ赤ちゃん市場も。こんなに赤ちゃんのためのグッズが売られていてお金を使うのかと。やっぱり仕事だけが人生じゃないし、それしか知らないって本当恐ろしいほど世間知らずになるんだなと体感しましたね。

清水:なるほど。世の男性に聞かせたいです。

斎藤:はい。そのおかげもあって、仕事に戻ることがすべてにならず焦ることはなかったです。

清水:そうですか。

斎藤:知らないことが多い世の中にびっくりしちゃって、同時に、休み中に自分が思った「こうだったらいいな」を全てメモを取りました。復職したら絶対にガイドブックを作ろうと思ってやっていました。住民税の申請はどうする、いつ何を申請する、職場への戻り方、復職後の会社での搾乳など。何もかも先のことが分からない。それでいて、待ちの状態でしかない。でも流れがわかるガイドがあれば本人も能動的に行動できますし、人事側もらくになるなと。

清水:そのとおりですね。

斎藤:はい、そんな風に、戻ったら何をするか考えていたんですよね。夜中に起きてメモを書き留めることもありました。

清水:それはすごい。実際、戻られて作られたんですよね?

斎藤:作りました。今もあります。ガイドブック以外にも復職者の支援・座談会を始めましたね。私は人事だったので産休育休経験者の社内知り合いが多かった。でもそうじゃない人もいるはず、という思いが発端で座談会をやること。

 

■復職 ごめんねではなくありがとう

清水:お休み中も仕事に情熱を注がれていたといいますか、けっこう考えられていて、復職後に実現もされておられる。お休みから戻られた時の職位はどうでしたか?

斎藤:リーダーではなくメンバーですね。ずっと一緒にやってきた人の部下としての復職でしたけど、働くことは楽しかったです。「これだけ休んだから迷惑はかけられない」というより「その分恩返しを」という思いのほうが強かったですね。休み前に感じていた役職者への悔しさもなかった。それよりも緊張しましたよ。長く勤めていれば面の皮も厚くなるんで、何も不安なく「当然」って顔するのかなって思われがちですけど、すごく緊張しました。

清水:仕事と育児の両立の悩みを抱えていた時期もあったとおっしゃっていましたが、どのあたりから大変だなって。

斎藤:楽しかったんですよ、復職直後は。通勤時間に本が読めるとか。ただ、それはちょっと高揚してハイな状態。復職して1か月が過ぎた頃からどっと疲れが出始めました。常に周りにあやまっているような感じっていうんですかね。保育園の先生に「遅くなってすみません」、職場の人には「早く帰ってごめんなさい」。子どもには「待たせてごめんね。」「ごはん待っててね。ごめんね。」って。そうすると子どもも萎縮するんじゃないかと感じたことがあったんです。自分たちのせいでママがあやまってるみたいな、そういうこともあって、少しずつ「ありがとう」と言葉を換えていくように心がけました。

 

■時短勤務にまとう申し訳なさ

清水:時短で働かれている方全員じゃないにしても、職場に申し訳ないと思われている方って結構いらっしゃるんですよね。斎藤さんはどういうふうにその申し訳なさを払拭されていきましたか。それこそ、ずっと思っていたら萎縮していくだけだと思うんです。

斎藤:私の場合は慣れですね。私が上司として時短勤務の部下にかけている言葉でいうと「お互い様だよ」ですね。親の介護や病気で、いつか自分が何かでお世話になることもありますから「みんなで協力していこうね」と。時短の人と、上司と、同僚の、一体となった関係づくりみたいなところは気を遣いましたね。時短の人も手がいっぱいになってにくると「ありがとう」ってちゃんと言っていないケースもあります。そうすると「当然の顔して…」って気に入らなくなるんですよね。

清水:ありますね。

斎藤:本人には「口に出してちゃんと感謝を伝えてるの?」と言いつつ、同僚には「当然のような顔をしているかもしれないけど、かなり気を遣っていて、こういう努力をしてるんだよ」と伝えています。あとは上司側にもですね。本人と同僚を見て、労って、承認する。このバランスのとり方が「すみません」から「ありがとう」に変わるときのポイントになるような気がします。

 

■勤務時間に関係なく、モヤモヤ症候群への背中押し

清水:会社側が時短勤務者に対して、フルタイムに戻れるなら戻ってきてほしい、と要求することがあると思います。そのあたりでお感じになられていることってありますか?

斎藤:私個人としてはあまり「早くフルタイムにしなさい」っていうことは言わないですね。というのは、人によってですけど、時間での成果がすべてじゃないので。時短勤務であってもきちんと成果を出していればいいと思います。何よりも、本人が「フルタイムに戻れる環境が今はある」と思えることが重要。スポーツ選手が自分のベストコンディションを自分で作り出すのと同じですね。本人が戻れると判断しない限り、ベストパフォーマンスは出ないような気がしています。

清水:なるほど。本人の選択と状況は、その人自身にしか分からないですしね。それに反したことをすると、上手くいかないことが出てきてしまう。

斎藤:ただ、本人が「もっと働きたいのに働けていない」と、貢献実感がなくて、モヤモヤ悩んでしまっている場合には、ちょっと背中を押す手伝いはしますね。放っておくのは良くないと思っています。

清水:上司からの声かけ、後押しって結構大きな出来事だと思います。

斎藤:そうですね。チャンスが与えられず期待されていないって思っちゃうことが戻れなくなるきっかけのような気がしますね。それから、上司は「フルタイムに戻りなさい」=「チャンスを与えている」だと思っていたら、ちょっと違うんじゃないかなと思っています。「あの人は子どもが2人いるから管理職にできない」とかそういうことではない。上司の考え方として、まずは出している成果と能力をみる。それに応じたチャンスを示し本人にYESかNOか言ってもらおう。こういうことがモヤモヤしている人の背中の押し方の1つだと思うのでそうしています。「ちょっと大変かもしれないけど、機会があるから、あなたやってみる?」って。「ご家庭のことで無理にとは言わないけど、チャレンジしてみたいから家族と調整したいってことであれば、待っているから返事ちょうだい」と言うと、結構「頑張ります」って言う人がいますね。いわゆるマミートラックっていうんですかね、そういうところに乗せっぱなしにしない努力をお互いがするべきじゃないですかね。

 

清水:いろんな人をみて関わられてきたと思います。女性活躍推進から、今は部署も変わられていますけれども、今後は分野問わず、どんなことを実現していきたいですか?

斎藤:難しい時期にヤフーも来ていると思います。インターネットカンパニー、データドリブンカンパニーとして、技術部門を強くするために、私の希望とタイミングもあって今は技術部門に異動しCTOのもとで業務しています。ものづくりが強く輝くような世界観、そこにはダイバーシティって当然大事なことだと思っています。いろんな人のクリエイティビティを発揮するという意味だと、これからはもう、本来の意味でのダイバーシティです。価値観やものの見方の違い、働き方の特性の違いなど。どんどん、深層のダイバーシティのほうを活かしていく。1人ひとりの強みを活かして、人も組織も強くなる会社にしたいっていうのは、ヤフーのダイバーシティは第2ステップに来たのかなって感じはすごくしますね。きちんと結果をだして、ものづくりが強いヤフーになるぞ、というふうに頑張っていきます。

清水:いろいろとお聞かせいただきましてありがとうございました。

斎藤:ありがとうございました。

 

 

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