はじめまして。
WisHの野崎です。
長い間、建設系の会社で働いていました。
そんな私がなぜ今、WisHで働いているのか?
今日はそこらへんをお話しさせていただきます。
会社の新設の部署に異動となった15年前くらいでしょうか。
社外の学会から「ダイバーシティ委員会を手伝ってくれないか」と
声をかけていただきました。
当時の私は「ダイバーシティ」も「男女共同参画」さえもよく分かっておらず、
そのまま上司に報告したところ、
上司;そんなことやってる場合か!
私 :そうですね
で終わりました。
けれど、時代は少しずつ変化します。
それから私も少しずつ「ダイバーシティ」の知識を仕入れていました。
2年後、上司も変わり新設の部署も軌道に乗ってきたころ、再び同様の依頼を受けたのです。
私 :やってみたいのですが・・
上司:いいんじゃない、やりなさいよ
私 :?!
いとも簡単にOKをもらい、
何をやるのかよくわからないまま、私は委員を引き受けた次第です。
でもあの時、参加できること以上に嬉しかったのは、
会社の後輩二人が応援してくれたことです。
「やりたいんですよね?」と二人からと念を押され、
「うん、まあ」と私が答えるや否や、優柔不断な私をよそに、
一人はメールで上司を説得、一人は交渉の場に同席してくれました。
有難かった・・感謝します。
委員会では、働きやすい職場環境やスキルアップなどの情報発信を行い、
また、本の編集委員なども経験することができました。
そして、この委員会を通じて、私はいろいろな方々と出会うことができました。
男性比率の高い職場で、長年頑張ってきた女性技術者や研究職の皆さん。
その考えや働き方、生活の一端に触れたことで、
今まで私の固定観念の中にあった“女性の仕事”は、
“女性のやる仕事”ではなく、“その女性がやりたい仕事”なんだ、
と変わっていきました。
今でこそ「女性活躍推進」などの言葉が普通に使われていますが、
様々な分野で、先人の方々はどれだけ努力をされてきたことでしょうか。
それと同時に、
私はなぜあの時頑張らなったのか、なぜ続けなかったのか、なぜ主張しなかったのか、
なぜ勉強しなかったのか、私は何をしてきたんだろう、
と自己嫌悪に陥りました。
特段何もせず何十年も働いてきた自分に、我ながら呆れてしまいます。
だからと言って今さら過去には戻れません。
これから先、自分のやりたいことをやっていくためにはどうしたらいいのだろう、
私に何ができるだろう、私の得意なのは何?
定年も見え始めたころ、少しずつ考えるようになりました。
そして次第に・・
スペシャリストにはならなかったけど、
私にはゼネラリストとしての40年のキャリアがある!!
そのキャリアとスキルを何か後進のために活かすことはできないだろうか、
次に働く職場は「女性活躍の応援ができる職場にしたい」
と思うようになりました。
WisHはまさに「女性活躍の応援」を生業としている会社です。
初めてその名前を目にした時は、「こんな会社があるんだ」と驚いたものです。
幸いにも採用していただき、今は週2~3日の勤務で、
主に研修資料の作成などを行っています。
そして、他の日は地元でボランティアをしています。
1つは外国人対象の日本語教室、もう1つは男女共同参画に関わる情報誌の編集委員です。
それから、やはりそのころから始めた趣味のフラワーアレンジメント。
年をとってもできる趣味を探していたら、唯一続いたのがこれでした。
10年も経つといつの間にか、それなりの作品ができるようになるものです。
15年前のダイバーシティとの出会いから、漠然と思い描いていた第2の人生が今動き出しています。